程度

自分を全面に押し出すってのはどの程度まで相手に迷惑かけずに済むんでしょうかね。

相手によるってのはまぁ、分かりますけども。

就活やってる身としては、相手に自分を知ってもらうためにあらゆる方法で自分を表現する必要がある。
自分から見た自分、他人から見た自分、自分の目標、行動の動機。そういうのを全面的に把握させることで、会うか合わないか決めてもらう。

だけどそれは、就活生と採用担当だから成立する関係。

親しき仲にも礼儀あり、では無いけれども、親しいからって何言っても良いわけでは無い。それは「相手を頭から罵倒するな」ということではなく、相手の立場を考えずに、場を弁えずに、とにかく自分の言いたいことを言いまくるのは論外だということ。

だが相手の立場を考慮しすぎても言いたいことを言えないわけで。うーむ。

output+

思うことがあり、Blogの方の更新を始めました。

自分は基本的にTwitterで一日に100post以上する廃人の部類に属するという自覚はあるのですが、そういう状況のみに身を置いていることに若干の疑問を感じまして。

Twitterでの発言は、つぶやきという「自分の中で完結する発言」という意味の言葉を使って表現されますが、実際のところは他者の存在を意識しすぎてしまうきらいがあります。簡単に言えば「こう言えばあの人がリアクションを返してくれるだろう」というような、ね。

これはある意味じゃ人と人とのコミュニケーションの基本ではあります。「あの人がどう考えているのか」ということを意識することにも繋がるんで。他者の考えを読み取らないことにはコミュニケーションは成り立たない。もしそれで成り立ってると思っていたらそれは言葉のドッヂボールか壁当てですね。

ただ、それだけを自らの表現としてしまうと、やはり他者依存的な発言が多くなりますし、自分の言いたいことを見失いやすくなってしまう気がするのです。

まー、そんなことを考えて辿り着いた結論がBlogですね。TLという分節化された、かつ自他が混合する場にのみ自己の文章を落とすだけではなく、自己の文章が自己のものとして落とし込まれる環境でも文章を書こうと思います。


結局交流できてしまうという意味では他者の存在を意識する環境ではあるのですが、プラットフォームとしてこちらの方は比較的自己完結型であると判断したので、まぁこういうことをすることにしました。

それとなくよろしく。

TOHO CLOCKに参加しました


TOHO CLOCK


てぃーまです。
大分開設からの更新が空いてしまいましたが、取り敢えず報告をば。


4月初頭辺りにこの"TOHO CLOCK"の企画を知りましてそこから細々と曲制作をやらせて頂いておりました。
自分は「芥川龍之介の河童 〜Candid Friend」のアレンジを提供させて頂いております。
平坦で飄々と進んで行く様子を表現したかったのですが、結果や如何に…


動画もそうですが、音楽については殊更実力派として活躍されている方々が揃っております。
参加の経緯として、そんな中に自分を放り込んでみたいという、そういう気持ちもあったのかも知れません。


何にせよ、ひよっこな自分にはいい経験でありました。


膨大な曲数なので自分の曲を耳にする機会というのもあまり無いかと思いますが
もし耳にすることがあるようでしたら、感想などを頂ければ幸いです。


簡単ですが、それでは。

始動させる

blogを手始めに開設しました。

"UmeShumai Production"は、私てぃーまがDTMやら映像制作やらをやっていく上での拠点(或いは決意表明)として設立した個人サークルでございます。

今のところがらんどうそのものですが、何卒よろしくお願いします。